暖炉の前で、うとうとしておりました。
人間だった頃は、どうだった?
戻りたいかい?
いや、どうかな……とにかく毎日がとても早く過ぎたように想うよ。
夕陽の当たる草葉の陰からも、声が聴こえます。
人間というのは、なんだか大変そうだな。
うん。
水辺の小さな岩陰からも、何やら聴こえてきました。
昨日は何か食べた?
いいや、一日中ぼんやりと眠っていたよ。
そうか、それなら今夜は晴れるといいね。
嗚呼、怪物が来るね。
これは、たった今温かい暖炉の前でネズミが見ている夢です。
画家だった時は沢山絵を描いたな、一日も休まず草原を走り続けたよ。
耳鳴りのする丘の梢からも、小さな会話がこぼれ落ちます。
まるで星が降りそうな夜だね。
僕らは何かになるために歩き、
何者かになるために旅をしているのさ。
読む度に変わる人生があっても良いと想うのです……
いや、そうあるべきなのです。
君は、なんだかまるで時間の鳥みたいなことを言うな。
トンネルの番人が笑いました。
怪物の足音と吐息が、ゆっくりと近づいて来ます。
そうさ、想い出すね。生まれた日のこと。ネズミを拾った日のこと。
いや、違ったかな……今ではもう、自分がネズミなのか猫なのか、曖昧で分からなくなってしまったよ。
遊園地で遊んだ日のことは、憶えているかい?
それも、忘れてしまったな……
そうか、それはちょっと残念だ。
けれど、ぼんやりと揺れる炎を見つめていると、だんだんと色々な景色が甦るね。
たとえば自由を乗せた列車や街角の喧噪、耳を澄ませばもっと遥か遠く、流れる河の泥のように優しい歌声も聴こえるよ……
『読む度に変わる物語があっても良いと想うのです。本来そうあるべきなのです。』
想いを馳せれば悉く、森を越え、そのまた遥か遠く彼方の泉に棲む魚の揺らぎにまで届きます……
そういえば、怪物は何処まで来たのだろう。
生まれた日のこと、キツネと逢った日のこと……
僕らは何かになるために歩き、何者かになるために旅をしています。
小さな梢にも、小さなものたちが居ます。
樹の皮の下にだって世界はあるのさ。
カギロイたちが頷きました。
ところで、椅子っていうのはそんなに気持ちがいいのかい?
さぁ……僕はアリだからね、忙しくてそんなものに座る暇はないのさ。
君も、夢を見ているのか?
透明に揺れる水底に居るカワニナは何も答えません。
君、ホタルかい?
いいや、僕らはポタルさ。
キオクの枯れ葉を食べるのは、誰だい?
もっと小さな世界の住人さ、今度いつか冒険してみるといい。
想えば悉く、か。
嗚呼、そろそろ夜が明けるな……
つまらない物語を聴かせて、すまなかったね。
そんなことはない、また何処かで逢おう。
うん、それがいい、約束しよう。
木々の隙間から、白々と朝の太陽が射し始めました。
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